渡辺さんは節分に豆まきをしなくていい由来 酒呑童子の物語

渡辺さんは節分に豆まきをしなくていい。情報番組でも取り上げられたことのある話題ですがその理由は何に由来するのでしょう。そこにはパズドラでもお馴染みの、酒呑童子と茨木童子の物語がありました。

そこで、渡辺さんが節分に豆まきをしなくていい由来を、酒呑童子と茨木童子の物語と合わせて、まとめてみました。


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目次

渡辺さんは節分に豆まきをしなくていいって本当?


鬼のほうがビビちゃってるから、俺たち豆まきしなくてよくね

と、全国の渡辺さんが思っているかどうかはわかりませんが後述する酒呑童子と茨木童子の物語の結果、鬼の方が渡辺さんを怖がっているため、あえて「鬼は外!」などと言う必要はない模様。節分に限って言えば、他の名字とは格の違いをみせつける渡辺姓。

この最強っぷりは何に由来するのでしょう。鬼のほうが怖がるって!! 何それ!?

調べていくと古くは、渡辺綱(わたなべのつな)という人物に行き当たります。

渡辺綱は、源頼光(みなもとのよりみつ)に仕える平安時代の武将で頼光四天王の一人にして筆頭。剛勇で知られた人物です。ちなみに、頼光四天王の他のメンバーは、

  • 渡辺綱(わたなべのつな)
  • 坂田金時(さかたのきんとき)
  • 卜部季武(うらべのすえたけ)
  • 碓井貞光(うすいのさだみつ)

と、なります。坂田金時は、「まさかり かついだ ♪」で有名な金太郎さんのことです。源頼光に仕えるようになって、坂田金時と名乗るようになりました。

坂田さんも渡辺さん同様、節分に豆まきをしなくていい家系とされます。

この源頼光(みなもとのよりみつ)と頼光四天王の活躍が、渡辺さん、坂田さんが節分に豆まきをしなくていい由来につながっていきます。

渡辺さんは豆まきしなくていい 坂田さんもそう でも、他の2人は?


後の世まで鬼に恐れられることになった頼光四天王の活躍。では四天王の主である源頼光(みなもとのよりみつ)とはどんな人物でしょう。

源頼光(みなもとのよりみつ)とは

清和源氏三代目、摂津源氏の祖。後に征夷大将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)を出す河内源氏の系統は、源頼光の弟の家系。

ここで疑問が。頼光四天王のうち、渡辺さんと坂田さんは節分に豆まきをしなくていいとか。これは「大江山の酒呑童子退治」に由来します。でも、もう2人いますよね?

卜部(うらべ)さん、碓井(うすい)さんは鬼に恐れられていないのか?

卜部季武(うらべのすえたけ)は、弓の名手で、鹿島流武芸を身に付けていたと伝えられる武将。「今昔物語」の中では妖怪の産女(うぶめ)と渡りあったと描かれた人物。

碓井貞光(うすいのさだみつ)も「大江山の酒呑童子退治」「今昔物語」で有名な武将。貞光が群馬県の「四万温泉」を発見したといわれる。大蛇退治の伝説もある人物。

また、童話の「金太郎」の中で木こりとして優秀な人材を探す中、金太郎を見出し源頼光のもとに連れて行くのが碓井貞光。

卜部さんも、碓井さんも色々なお話で頼光四天王としての活躍が描かれてはいますが、「大江山の酒呑童子退治」では、主役扱いではなかったためか、節分に豆まきをしなくていいとの記載は見つけられません。

強い武将なので四天王としては恐れられていたかもしれませんが、物語の主役じゃなかった、資料が乏しいということで伝承としては伝わらなかった模様。

では、後の世まで渡辺綱(わたなべのつな)と坂田金時(さかたのきんとき)の名を伝えることになった「大江山の酒呑童子退治」とはどんな物語でしょう。

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節分に豆まきしなくていい由来 主役は渡辺綱?


パズドラでもお馴染みの、酒呑童子(しゅてんどうじ)と茨木童子(いばらきどうじ)。

彼らと源頼光、頼光四天王の戦いを描いたのが「大江山の酒呑童子退治」の物語です。

酒呑童子と茨木童子

酒呑童子は平安初期に越後国(現在の新潟県燕市砂子塚)で生まれたとされます。絶世の美少年だった彼のもとには女性たちからの恋文が引きも切らず届いたそう。しかし、彼は見向きもしません。それどころか恋文を読みもせずに燃やしてしまう始末。ある日のこと、いつものように恋文を火にくべていると、想いを伝えることさえできなかった女性たちの怨念が煙となり彼を包み込み、鬼へと変えてしまいます。鬼となった彼は各地を転々とした末、大江山に棲みつき鬼の頭領となります。酒呑童子(しゅてんどうじ)の名は彼が無類の酒好きだったことから手下たちが、そう呼んだことに由来します。

後に酒呑童子の最も重要な家来となる茨木童子も越後国(現在の新潟県長岡市軽井沢)で生まれたとされます。※摂津国(兵庫県尼崎市)生まれとする説も有り。彼もまた美少年として生まれ、多くの女性に言い寄られます。心配した母親に弥彦神社に送られましたが、ある日実家に帰った彼は、母親が行李の中に隠していた「血塗りの恋文」を見つけます。何かの興味に惹かれた彼が、その血をひと舐めしたところ、形相がたちどころに変わりはじめ、鬼になってしまいました。その場を逃げ出した彼はその後、酒呑童子に出会い意気投合。酒呑童子の最も重要な家来として一緒に京を目指します。

源頼光(みなもとのよりみつ)一行の鬼退治

大江山を拠点に当時の都であった京で狼藉を働く、酒呑童子と茨木童子の一味。酒呑童子は50人もの鬼を従えていたとされます。

そこで、鬼退治の命が源頼光に下されます。源頼光は頼光四天王と50人の部隊を編成し、いざ、鬼退治に向かいます。※数名で向かったとする説と大勢で向かったとする説有り。

お話では山伏の姿で向かったとされているので50人の山伏は不自然ではないかと。お話としては数名のほうが自然に感じますね。でも、全滅させたなら数名じゃ無理か?

山伏の姿に変装した一行は、道中、様々な助けを得ながら進みます。敵の本拠地には、「道に迷い一晩の宿をお借りしたい」といって潜り込むことに成功。

疑いの目、厳しい詰問をくぐり抜け、超絶アイテム「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」と無敵の兜「ほしかぶと」を用いて酒呑童子を見事退治。一味も殲滅したはずでしたが、茨木童子だけは逃げ延びます。

渡辺綱(わたなべのつな)と戦っていた茨木童子は源頼光によって討ち取られた酒呑童子を見て、逃げ出したとされます。

渡辺綱と坂田金時があまり活躍していない件

酒呑童子を討ち取ったのは源頼光だし、「大江山の酒呑童子退治」をみると渡辺綱と坂田金時はあまり活躍しているようにはみえません。それでもなぜ、鬼たちはこの二人を恐れるというのでしょうか。

金太郎こと坂田金時はなんでしょう。知名度ですか。童話の方でも源頼光に仕えて鬼退治をしたとありますし「大江山の酒呑童子退治」でも四天王の一人として数えられています。ゆえの、豆まき免除かと。

渡辺綱は、その後の物語でも鬼退治のお話があります。基本は「渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とすが、茨木童子は腕を取り戻しに綱の元へやってくる」ですが、この話がいくつに分かれて伝えられています。この辺が「渡辺最強説」の由来なのだなと感じました。

渡辺さんは節分に豆まきをしなくていいのまとめ


渡辺さんは節分に豆まきをしなくていいと言うのは、主に福島を中心とした東北地方で語られる伝承です。なので、東京の渡辺さんは普通に節分に豆をまいていたりします。

「え、普通にまきますよ」(東京の渡辺さん談)

そもそも、この鬼退治の話を知らない渡辺さんも多いです。知っていても、むしろ豆まきはしたいという渡辺さんも多いはず。

でも、せっかくなので年に一度、他の名字との格の違いを味わうのもいいかもしれませんね。この記事は「渡辺」ではない私がお送りしました。

この記事がわずかでも、参考になれば幸いです。

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