レゾンデートルというフランス語の意味や類語とテーマにした歌を紹介

レゾンデートルというフランス語は、日本でもカタカナのまま使わ
れていますが、実は、哲学用語だということをご存知でしょうか。

レゾンデートル。哲学用語だけになかなかに深い言葉のようです。

レゾンデートルというフランス語の意味や類語・対義語について、
ご紹介いたします。

また、レゾンデートルをテーマにした歌もご紹介します(わたしが知っている限りで)。


スポンサーリンク

レゾンデートルの意味は? また、英語での言い方も同じでしょうか?


レゾンデートルの原語表記は、「raison d’être」

レゾンデートルの意味は「存在理由」です。

レーゾンデートルと表記すると、原語の発音に近くなります。

レゾンデートルは、哲学における〈実存主義〉
という思想の中心的命題です。

〈実存〉とは〈現実存在〉を縮めたもので、
「今ここに存在していること」。

古代ギリシャは〈現実存在〉と〈本質存在〉の対立の時代でした。

〈本質存在〉の優位を唱えたのがプラトン、

〈現実存在〉の優位を唱えたのがプラトンの弟子アリストレスです。

ふたりの立場の違いはラファエロの絵画『アテネの学堂』にも顕著
です。


プラトン(左)が指を天に向けているのに対し、

アリストテレス(右)は掌を地に向けています。

近代に入ると、

セーレン・キルケゴール(デンマーク)による〈実存哲学

フリードリヒ・ニーチェ(ドイツ)による「神は死んだ」宣言

マルティン・ハイデガー(ドイツ)による〈存在論

などを経て、

ジャン=ポール・サルトル(フランス)の〈実存主義〉にたどり着きます。

彼の代表的な主張が「実存は本質に先立つ」です。

サルトルはこれを〝ペーパーナイフと人間の対比〟の
例えで説明しています。

ペーパーナイフは本質(=役割や目的)を決められて
作られます。いわば、存在が限定された物、です。

一方の人間は、本質を決められて生まれてくるのでは
ありません。

生まれたのちに自らが本質を選び、自分という存在を
作りあげていきます。

人間に与えられた生き方は限定されておらず、それど
ころか無数の選択肢をそなえてもいます。

サルトルはこれを「人間は自由の刑に処せられている」
と表現しています。

もうひとつわかりやすい例えを挙げましょう。

「あそこに花子さんがいるよ」 この場合、花子さんは〈現実存在〉です

「花子さんって優しい人だよね」 この場合、優しい人が〈本質存在〉です

優しい人、という〈本質〉を重視するのではなく、
花子さんがいる、という〈現実〉を大切にしようと
いうわけです。

サルトルの〈実存主義〉については、おわかりいた
だけたでしょうか?

もっとも、今日使われている《レゾンデートル》は
〈実存主義〉から離れ、単なる「存在理由」の意味
で使われることが多いです。

レゾンデートルがテーマの歌はその典型と言えるでしょう。

その他にも「レゾンデートル」がテーマの歌として、

GUMI(ボーカロイド)『レゾンデートル頂戴』
The Raid.『レゾン・デートル』
ナイトメア『レゾンデートル』
田村ゆかり『レゾンデートルの鍵』
種田梨沙『レーゾンデートル』

などが思いつきます。

レゾンデートルはフランス語ですが英語圏でも「raison d’être」で通じます。

和英辞典で「存在理由」を引くと「raison d’être」というフランス語表記と
「reason for being」という英語表記が載っています。

英和辞典でも「raison d’être」で引くことが可能です。

スポンサーリンク

レゾンデートルの類語は?対義語となる言葉はあるのでしょうか?


《レゾンデートル(存在理由)》の類語としては、

・存在価値
・存在意義
・存在根拠
・実在根拠
・実在理由
・生きがい

などがあります。

レゾンデートルの反対語・対義語についていうと、
明確にそれとあたるものはありません。

人間が生きているかぎり存在理由の本質を問う議論
は続いていくでしょうから結論も出ておらず、決着
もついてない、というわけです。

しいて言うなら

「反対語・対義語がない、というのが反対語・対義語」

でしょうか。

まさに哲学的解釈ではありますが。

レゾンデートルというフランス語の意味や…についてのまとめ


レゾンデートルというフランス語の意味や類語・対義語
について書いてきましたが、いかがでしたか。

最後に。

「人は女に生まれるのではない 女になるのだ」

という名言を聞いたことのある方は多いと思います。

女流作家ボーヴォワールが著書『第二の性』で述べた
言葉です。

「人間ははじめから意味(価値)ある存在として生まれてくるのではない」

という意味ですが、

サルトルの「実存は本質に先立つ」に似ていると思いませんか?

シモーヌ・ド・ボーヴォワールはジャン=ポール・サルトルの
終生の伴侶でもありました。

スポンサーリンク

記事タイトルとURLをコピーする
カテゴリー